陽願寺を訪れ想うこと

陽願寺を訪れ想うこと

時代を遡ること関ヶ原の戦いの後、結城秀康(徳川家康の次男)が越前国を与えられると、府中(武生、今の越前市)の領主と、越前藩国老として来武した本多富正は、数々の功績を残しています。例えば、日野川の堤防を直し水害を防いだり、町へ用水を引いて住民の生活の便をより良いものにしたり。また、町の真ん中には北陸街道を通し街道沿いに町屋、東に武家屋敷、西に寺社を配置し、府中の町並みを整備いたしました。また打ち刃物や和紙、蚊帳(かや)などの地場産業を奨励し経済的発展の基礎を造りました。そんな本多富正は、寺社の保護にも力を注いだと言われ、宗教の政策にも熱心に関わりを持ったと言われます。

この話に基づいて、私の生まれ故郷でもある福井県越前市には、町の中の至る所にさまざまな宗派の寺社があります。歩けばたくさんのお寺を横目に通学したものです。子供の頃から何の疑問も持たなかった生まれ故郷越前市のことが、「陽願寺」に訪れ、住職のお話を聞くことで先に記した背景がわかった次第です。


私が訪れた「陽願寺」は、越前市の市中にあり、まわりは箪笥町やお寺に囲まれている中に大きく構えておられます。越前市役所からも歩いても10分かからないほどの町の中にあります。

浄土真宗本願寺派 御堂 陽願寺は、室町時代に蓮如上人の高弟・善鎮上人が、越前にお念仏を広めるために建てられました。当時、あまり正しくないお念仏の教えが越前において広まっていたことから、正しい教えを意味する「陽」に導くよう「願」いを込めて陽願寺と蓮如上人が命名しました。

陽願寺を訪れると、まず御堂とも呼ばれる本堂に通していただきました。本堂は、およそ1万枚をこえる金箔が使用され、格式のある数々の装飾、彫刻、絵画で彩られ、豪華絢爛という言葉が相応しい、私のお寺というイメージからかけ離れていることに驚きました。藤枝ご住職のお話からこの御堂の施しは、荘厳な極楽浄土の世界を表しているのだと知りました。極楽浄土がこのような美しく、華やかなものなのかと大きな感動を得ることができました。


対面所は西本願寺の御門主と深いつながりをもつ陽願寺の格式の高さを表しており、御門主が福井に来られる際に、宿泊や休息に使われると想定し、越前の僧侶や門徒と対面の儀式をするために建てられたとされています。非常に広い62畳の大広間の金箔が貼られた床間には、白赤青黄色の越前和紙が飾られ、その間にはみたこともない大きな越前焼の壺が置かれていました。



樹齢四百年を超える大木が並ぶ御殿庭園を眺めながら、お茶をいただき、藤枝御住職のお話をお聞かせいただきました。5月という新緑の季節のお庭も清々しく、ご住職の穏やかな柔らかい会話の中、越前市生まれの私が今にして故郷の素晴らしさを実感する貴重な時間でした。季節ごとに表情を変えるお庭を楽しみに来福したいと思いました。




陽願寺を訪れ、静けさの中の自然の美しさ、仏教の教えの中の由緒正しい姿勢を感じ取れたことは、私にとって、優しく柔らかな意味を持つ大切な時間でした。また、生まれ故郷、越前市に、このような歴史があり、素晴らしい場所や想いが受け継がれ、現在もなお、心がほどけるような感動を与え続けていることを誇りに思いました。


浄土真宗本願寺派 御堂陽願寺
〒915-0823 福井県越前市本町3-10

https://youganji.com/

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五十嵐郁子

1975年生。東京在住。エーデパディレクター。福井県越前市生まれ。日本女子大学卒。大学生の2人の娘の母。東京福井県人会理事。福井市応援隊サポーター。

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