皆様、こんにちは。
美味しいものがたくさん実る、食欲の秋が始まりましたね。今回の読み物では、「旬のものをいただく」ことについて、少し綴ってみたいと思います。
今では、さまざまな野菜が一年を通して店頭に並ぶようになり、「本来の旬はいつなのだろう?」と思うこともありますよね。
それでも季節が巡ると、いつもとは違う野菜や魚が並び、「新物」と書かれたものを見かけることがあります。そんなとき、私たちは自然と季節を感じているのではないでしょうか。
昔の人々は、今よりもっと季節と食べものを身近に感じながら暮らしていたと思います。そこには、旬のものをいただくことに対する、いくつもの知恵や楽しみがありました。
昔から伝わる、旬をいただく知恵
私たちが何気なく口にしている「旬」。
今では一年中、さまざまな食材を手に入れることができますが、昔の人にとって、食べものはもっと季節と深く結びついたものでした。
その季節にしか採れないもの、その土地でしか味わえないものをいただく。そこには、自然とともに暮らしてきた日本人の知恵や、季節を楽しむ心が息づいていたようです。

「身土不二(しんどふじ)」
「身土不二」とは、人の身体と、その人が暮らす土地は切り離せないという考え方です。
その土地で、その季節に採れたものをいただく。
たとえば、海の近くならその土地で獲れた魚を、山間なら山の恵みを。そして、その時季に一番美味しくなるものを食卓に並べる。
今のように食材を遠くから運んでくることが難しかった時代には、ごく自然な食生活だったのでしょう。
けれど、それは単に「手に入るものを食べる」ということではなく、暮らす土地の恵みをいただき、自然とともに生きるという知恵でもありました。

季節に合わせて、身体を整える
旬の食材には、その季節を心地よく過ごすための知恵もあります。
春には、山菜などのほろ苦いもの。
夏には、きゅうりやトマトなど、みずみずしいもの。
秋には、米や芋、きのこなど、大地の実り。
そして冬には、大根やごぼうなどの根菜。
季節が変われば、自然から届く食べものも変わっていきます。
昔の人は、そうした季節の変化を食卓から感じながら、その時季に必要なものを身体に取り入れていたのかもしれません。
旬をいただくことは、身体をいたわることでもあり、季節の移ろいに寄り添うことでもあったのでしょう。

「はしり・さかり・なごり」を楽しむ
日本には、旬をさらに細やかに味わう美しい言葉があります。
それが、「はしり・さかり・なごり」です。
「はしり」は、旬を迎える少し前。
まだ出始めのものを見つけて、「今年もこの季節がやってきた」と喜ぶ時期。
「さかり」は、まさに旬の盛り。
一番美味しい時季のものを、存分に味わいます。
そして「なごり」は、旬の終わり。「もうすぐ食べられなくなるね」と、その味を惜しみながらいただく。
同じ食材でも、出始めには出始めの、盛りには盛りの、終わりには終わりの楽しみがあります。旬を「一番美味しい時期」という一点だけで捉えるのではなく、季節の始まりから終わりまでを味わう。そこに、日本人が大切にしてきた季節感と、美しい感性があるように思います。

初物をいただく喜び
そして、昔から日本では「初物」も大切にされてきました。その年、その季節に初めて採れたものを「初物」と呼び、それをいただくことを楽しみにしていたのです。
「初物を食べると寿命が75日延びる」という言葉があるほど、初物は縁起のよいものとされていました。
まだ誰もが味わっていない、その年最初の恵みをいただく。
それは、単に「早く食べられて嬉しい」ということではなく、今年も無事にこの季節を迎えられたことへの喜びでもあったのではないかと思います。
春の山菜、夏の初物、秋の新米。
「今年もこの味をいただける」
そんな小さな喜びを、昔の人は食卓の中で感じていたのかもしれませんね。

福井をはじめ、北陸には、美しい日本海や豊かな山々、清らかな水が育む、たくさんの旬の恵みがあります。
そして、そうした恵みを美味しくいただくために、昔から受け継がれてきた郷土料理や食の知恵もあります。
その土地で、その季節にしか味わえないもの。
美味しくて、身体が自然と欲するような、北陸の旬の恵み。
これからもエーデパは、そんな季節の美味しさをひとつひとつ大切に、皆さまの食卓へお届けしていきたいと思います。
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五十嵐郁子(いがらしいくこ)
1975年生。東京在住。エーデパディレクター。五十嵐羅紗店お姉(おあね)。福井県越前市生まれ。日本女子大学卒。大学生の2人の娘の母。東京福井県人会理事。福井市応援隊サポーター。神社検定取得。
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