はじめまして。
福井県吉田郡永平寺町で「永平寺白龍」といいブランドの日本酒の製造販売をしている、吉田酒造株式会社 蔵元 𠮷田由香里と申します。
今回は、私たちの歴史と私たちだからこその日本酒の価値についてお話をさせて頂きます。
【𠮷田酒造の幕開け】

創業1806年(江戸時代後期)
丁度日本酒の製造方法が確立された頃に、九頭竜川のすぐ横で酒造りを始めました。
その頃の朝一番の仕事は、陽が昇らない頃に生活用水が流れてない九頭竜川へお湯を沸かすための水、洗い物をするための水を汲みに行く事でした。
九頭竜川がもたらす肥沃な大地でとれる米と水があったからこそ、この地で酒造りが始まったのだと思います。
【吉田酒造が山田錦栽培を始めた頃】
酒は造れば売れる時代から、日本酒が売れなくなり、各酒蔵の個性と品質の高さが会社の存続に直結する転換期に私の主人が社長を引き継ぎました。
今後造る酒を決めるときに、全国新酒鑑評会で金賞をとれるのは、YK35【山田錦を35%まで磨いて、熊本酵母で醸す】だから、山田錦を使った酒、大吟醸を造っていくことを決めました。しかし、当時、山田錦は前年度実績がある酒蔵にしか卸さないということで、販売してもらえませんでした。
そこで、それなら、田圃があるのだから、作付けをコシヒカリから山田錦に替えて、酒造りをして、お客様に喜んで頂こう!と考えて、実際に山田錦栽培を始めました。
しかしながら、当時北緯35度・福井県が山田錦栽培の北限で、気象的にも栽培に困難を極めました。山田錦栽培1年目は反収がたったの3俵。それでも、この米で酒を造ることができた喜びはこの上ないものでした。

そして、造ったのは、大吟醸ではなく、酒米の王様「山田錦」の酒でも、誰にでも気軽に飲んで欲しいと、純米吟醸酒と特別純米酒を造ったのです。
しかしながら、流石に3俵では話にならないので、コシヒカリ栽培による化学肥料で負けていた土を有機肥料で土壌改良することを3年続けてようやく反収が6俵まできました。
【現在】
次女が大学を卒業して吉田酒造に入社した半年後、6代目蔵元は亡くなりました。
彼は、自社栽培山田錦に賭ける想いと「目が届く、手が届く、心が届く」という行動指針を遺してくれました。
更に私たちは一歩進めて、永平寺テロワールと称して、地元永平寺町の米と水のみでお酒を醸す純米蔵となりました。
そして、禅の教えでもある「在るがままをきわめる」
米作り、酒造りをする私たちにとっての「在るがまま」とは、何なのか。
私達は今、活かされている環境・自然に感謝し、永平寺町の米にしかない魅力を引き出すことこそが、永平寺白龍が目指す酒です。
永平寺の郷の 大地と水の恵み
自ら愛しみ 育んだ米の底力
在るがままを 信じて醸す現在(いま)
現在(いま)という時は更に新たな高みへ 向かう出発点
今後とも「永平寺白龍」を応援の程、よろしくお願い申し上げます。
𠮷田由香里さんプロフィール
1964年 生まれ 福井県鯖江市出身
1985年 小学校教員として金津小学校に赴任
1988年 𠮷田家に嫁ぐ
1990年 長女出産とともに退職・吉田酒造有限会社入社
1999年 ネット通販を始める
2014年 𠮷田酒造有限会社代表取締役就任
2017年 次女真子が杜氏に就任
2021年 全量永平寺町産米を使用して純米蔵になる。
2022年 香港のシンフォニー社と合弁でシンフォニー吉田酒造株式会社設立
代表取締役社長就任
2024年 有限会社永平寺ファーム設立
代表取締役就任
















